”佐藤 洸 歌の自分史  U”
2002年8月27日
盛岡劇場メインホール
歌と語り  佐藤洸
ピアノ    森明美
詩の朗読  宮静枝 (特別出演)
ご挨拶
残暑がまだ厳しい折にも拘わらずお越しいただきましてまことに有り難うございます。
 ところで昨年の会は9月11日・・・・・考えてみれば正に二百二十日だったわけで、ばっちり台風15号が見事な伴奏をしてくれました。
その上、例のアメリカでの「テロ」までおつき合いということで、終生忘れ得ぬ演奏会となってしまいました。嵐の中を駆けつけて下さった皆様には大変ご迷惑をおかけしましたこと、あらためてお詫び申し上げます。

 さて、このところ私も物忘れが急にひどくなり、人前で歌うなどもう終わりにしょうかとも思いましたが、平成10年8月、古希を記念しての初めてのリサイタルで、心優しき皆様と日本の古き良き歌を共に歌うことの楽しく心地よい味が忘れられず、そのうち、こうした歌を次の世代に歌い継いでいくことに使命みたいなものを感じたりして、月一回の老健施設での「歌う会」を土台に、体調の許す限り、声の出るかぎり、皆さんの応援がある限り、この運動を続けてみようと志を固めたという次第なのです。
 もう口癖になってしまいましたが、今時の日本の歌は、どうも私ら戦前生まれのものにはなじめません。
 若い者達、子供達がやんやともてはやす歌というのは、少なくも私の耳にはただ「うるさい」「わけがわからない」「無機質」・・・・としか聞こえません。
 要するに景色、季節、故郷、家族、そういった「心」を育てる背景が抜けています。抒情が抜けています。
 おまけに「鼻濁音」まで使えなくなって、ますます歌が殺伐で無味乾燥化しています。われら老人は何とかしてこの傾向に歯止めをかけ、日本の子供達の心が砂漠化していくのを、阻止しなくては、とおもいます。

私自身、時間がないと思うものですから、今のうちに今の子の親たち世代に先ずは歌い継いでほしいと、今日もまた、一緒に歌っていただくことをお願いする次第です。
・・・・・・・お爺ちゃんの遺言のつもりで歌わせていただきます。美しい日本、平和な地球、それを願いながら、心を込めて一緒に歌いましょう。
2002.8.27 佐藤 洸
一、日本の歌曲
ふるさとの
歌曲集「日本の笛」より
夏の宵月
追分け
落葉松
ちびつむぎ
あいびき
秋の月

二、歌謡曲集
北上夜曲・青葉城恋唄・中津川アルバム・長崎の鐘・わすれな草をあなたに・朝
三、外来の愛唱曲
故郷の空・故郷の廃家・埴生の宿・コロラドの月・庭の千草・旅愁・
会場の皆様とご一緒に
四、詩
「さっちゃんは戦争を知らない」から

 歌「昴」
    (詩の朗読に添えて)
さっちゃんは戦争を知らない

さっちゃんあそぼ
早く起きておいで
せみ取りに行こう
百合が咲いたよ

きのうお葬式に行ったお友だちだから
さっちゃんがそこに寝ていることを知ってます


でもさっちゃんは起きて来ません
呼ぶ声は森にこだまするばかりです
一人が大きい声で泣きだしました
あとの三人も
おんおん泣きながら家へ帰ったのです。

さっちゃんは戦争を知らない
   さっちゃんは5歳の私の恋人でしたと言った
   男の子も戦死しました
戦争を知らなかったさっちゃんは
不幸だったでしょうか幸福だったでしょうか
宮 静枝さま ありがとうございます。


はるかなるコーヒー

戦時中私はいっぱしのコーピー通だった
いとこは中南米貿易の若手社員だった
いとこが各種のコーヒーを届けたので
私はコーヒーを飲み分けていた
 文学的に言えばブラジルは大衆小説
 モカはソネット
  ブルーマウンティンは気取りや
  キリマンジャロは郷愁などと・・・
  何よりもコーヒーの
  最後の一滴になる言葉を大切にした


ふと いとこがいった
  特攻兵がいざ出陣の時 眠気ざましに
  コーヒーを濃く淹れて送り出すんですよ


なぜ早く言ってくれなかった
   知らなかった  知らなかった
私はテーブルを叩いて号泣した


コーヒーを断って60余年
せめて特攻兵への鎮魂ともなるならば―――
来年もまた 楽しみにしております・・・byカメラマン